本文へジャンプ 2007年 10月31日 

 

History Of
METAL INDIES -Part 2


その後、”メサイア”が'82年暮頃に突然日本のハード・ロックにおいて初のフル・アルバム
『Mental Ground Zero』を発表し、状況的には1歩も2歩も進んだところを見せた。
だがそれよりも、音楽関係者、またファンに、ハード・ロックにも”インディーズ”の動きが胎動期を迎えている事を
強烈にアピールしたという意味では、”サブラベルズ”の功績が大きい。そして、忘れてならないのが、
44マグナムがギグで配ったシート・レコードである。
サブラベルズは、アルバム『Sabbrabells』を'83年夏にリリースした。
アルバムを発表したということでも興味深かったが、彼らはこのアルバムを持ってツアーに出た。
つまり、”インディーズ・レーベル”最大の弱点である、配給ルートの難しさは彼らに行商を余儀なくしたわけだ。
しかし、これが逆にファンをライヴ会場へ自然に足を向けさせるという現象を生み、
バンドにとってはまさしく”吉”と出たのである。
そいう意味では、44マグナムの取ったライヴ会場における、フォノ・シート無料配布ギグもファンの脳裏に
ライヴ・ハウスという小さなスペースを位置付ける事に成功した。
その後に拡がった無料配布ギグも、サブラベルズの取った行商も全てここから始まったものである。
よくライヴ・ハウスに行ってスケジュールに目を通すと、”無料配布ギグ”の告知が見られたし、
行商も自主制作盤をリリースしたバンドとしては当たり前のことになったが、当時としては実に画期的な
出来事であり、と同時に”インディーズ”の活動拠点はライヴ・ハウスにある、というづ図式を作り上げたのであった。
この二つの出来事は、決して商業的な成功を収めたわけではないが、ジャパニーズ・ハード・シーン勃発において、
とても重い意味を持っており、今振り返ってみても、もしこれらの動きが無かったらその後に起きる
メタル・インディーズの流れは生まれなかったろう。

                       
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